うちはキリスト教徒ではないのでクリスマスにお祝いしない。
日本人は基本的にコマーシャルに乗せられて、周りがやってるからとかでクリスマスにおいしいものを食べたり、ケーキを食べたり、素敵なところに好きな人と出かけたり、プレゼントを交換したりする。でも、なんだか違うような気がする。
宗教的なお祝いは冗談ではない。だからその宗教に属していないのに”真似事"をするのは意外にも失礼な事なのでは?
だからといって子供達がカードを交換することに異議を申し立てたりはしない。
こちらオーストラリアではクリスマス前に学年が終わる。だからこれは一つにはこの一年間ありがとう!を込めた感のあるものである。
子供はそのカードにCandy Cane(スティック状の飴)が付いているのを楽しみにしている。基本そんなもの大しておいしいわけでもなんでもないのだが、付いているか付いていないかが子供達にとっては一大事なのである。
私も一応カードで付き合っているお友達が何人かいる。それによって毎年その人たちの事を想う。
今年一つ気が付いたことがある。
それは贈り物とは物である必要が無いこと。
え?どういうことって?まあまあ、落ち着いて。今から説明しますから。
夫が働いているところはマーティンプレースといって、つい最近シドニーで立てこもり事件のあった所にあります。
カフェも仕事前に寄ってお茶したりするのに使っていました。
あの日彼は朝仕事を終えてその日の夕方の仕事へ出かけるまで寝ていました。
あの立てこもりが始まったのは朝9時40分頃の事。
勿論、寝ていた彼に知る由もありません。それが2回電話が鳴ったそうです。何だろうと思いつつも気にせず寝ていたのですが、私が午後2時過ぎに彼を起こして今職場の近くで何が起こっているか教えると、夫はまず電話のミスコースを見てその人に電話。彼女は夫がマーティンプレースで働いている事を知っていて大丈夫かどうか確認するために電話をくれたそうな。それもだ。彼女は昔一緒に働いていて今はそこに居るわけではないのにだ。その後もう一人の女性にも連絡。彼女もまたうちの夫がマーティンプレースで働いている事を知っていて心配して連絡をくれていた。
私はこの事でとても大事な事に気が付いた。
本当の友達というものが自分にとっての贈り物なのだと。
人間は窮地に陥った時に本当の友達が分かるものだ。
いくらたくさんの友達がいてもそれがただ単に今都合がいいから仲良くしているだけで、もしも転職や転勤して遠く離れてしまったら、途切れてしまうことがある。
でも、そういう事が起きても続く友人関係というものがある。
私はその残念な方の経験をこちらに来てした。
来て初めての年末にクリスマスカードを30枚は出したのに、返事が2、3人しかなかった時にだ。
後でその理由を聞くと海外に手紙を出す方法が分からなかったから。。。だと。
じゃ、メールで届いたくらい言えるだろう?それも面倒臭かったというのか?
それ以来あまり友達というものを作る事を控えるようになってしまった。
一つには薄情ぶっている方が結果、同じことが起きてもショックを受けずに済む。
なんとも単純な理由だ。
そのおかげで鬱で苦しんだ時は辛かった。
医者にもカウンセラーにも"腹を割って話す友達がいないのか?”と言われた。その時にはそう思える友達がいなかった。
というか、自分の困りごとに人を巻き込むのは違うような気がした。そして、人に迷惑かけたくないからそういうことはしない。
そして自分の変化に気付いてくれる人が全くいない状態だった。
症状が少し軽くなってからそれまでの状態から方向性を変えた。
自分にカバーをかけて隠してしまう代わりに自分から自分の事を言ってしまうようにした。
そうしていくうちに随分楽になった。勿論まだまだ薬は必要だ。でも、それ以外にはストレスを貯め込むことがなくなった。
そして大変重要な事に色んなことを大事な事、他愛のない事合わせて話せる人達が出来た。
人間関係というものこそが素敵な贈り物なのだと。
形のあるものはいつか壊れてしまう、または無くなってしまうことがある。
でも真の人との関係は違う。
つい最近家族とのことで人間関係の最悪の思いをしたところなのだが、やはり本当の人間関係程素晴らしい物はないと思える自分がいる。ああ、良かった。
今、本当にこの人を知って良かったと言える人が5人いる。その人たちはは私にとって財産だ。
だからこの機会をもってこれは私にとっての宗教的なお祝いでなく、私がその人達を大切に思っている事を改めて思い起こすためにクリスマスにカードとプレゼントを渡している。これは自分のためにしている儀式のようなものだ。
だから私の中ではそういう意味でするクリスマス時の贈り物は邪道ではないと思ってます。
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自信たっぷりの16歳と頭の切れる15歳に日々悩まされるシドニー郊外在住の母。 二人の子供達の教育や子育てうんぬんに苦悩しつつ、のんびり見守りながら毎日を送っています。 頭に浮かんだ事を思うがままにそして赤裸々に綴っております。
2014年12月20日土曜日
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