ついふと考えたので、自分の気持ちをまとめるためにもと思いここに記しておこう。
私には3歳年上の兄がいる。
たった二人の兄弟で、それも兄はとても頭のいい人だ。
2歳の時にカルタ遊びが出来たほどだ。その上絶対音感があった。
私が生まれる前に家を建てたのだが、その時タイルの下に空洞がある(だいたいコンクリートを節約するつもりで建設する人たちの手抜きだったよう)を聞き当てて母がその事を建設会社に言って作り直してもらったくらいだ。
案の定兄は国立の小学校に合格し、私は落ち、彼にはとても明るい未来が待ち構えていた。
それがだ。兄が8さい7か月の時に酷い頭痛に襲われた。
その後病院に入院し、色々な検査をしたが結局出血の原因は分からず、その時に脳内出血が起こったのが原因で言語を発するところが詰まり頭の中では言葉があるのにその言葉を声に出して発音することが出来なくなった。母はお医者さんから何度も何度も兄の頭を殴ったのではないかと問い続けられたそうだ。
それから母と兄は学校から帰ってきた後毎日兄の部屋で二人国語の教科書を一緒に読む日々が続いた。そのおかげで私の午後はいつも一人だった。私が何をしているのかを心配してくれる人は家にはいなかった。でもその時の私にはそれがどういうことなのか良く分からなかった。
でも、少しずつ良くなりきちんと話す事が出来るようになった後も兄は苦しんだ。良い学校に行ってるがため皆から優しい声を掛けられる事にとても嫌な気持ちであった。
兄には殆ど友達がいなかった。多分自分の事をもっと知られるのが怖かったから無理に友達を作らなかったに違いない。
兄はその後も慢性の偏頭痛に悩まされ、いつも眉毛のあたりを指でマッサージしていたので両まゆが半分剥げてなくなっていた。
その後も2、3度脳内出血があったようだが原因は分からず。最後に病院に一人で行った時には長年住んでいる自分の住所すら書けなかったそうだ。
でも12年くらい前にやっと原因が分かった。
病名は脳動静脈奇形(Cerebral arteriovenous malformation:AVM)というもので1万人に1人の割合で起こるものだ。脳の中の動脈と静脈が毛細血管なしに繋がっていることによりその圧力で破裂し、時々出血していたのだ。運よく兄はそれによって障害が出来たわけではないが、脳に回る酸素の量が少なかったせいで片側の脳の大きさが縮んでしまっている。残念ながら一度縮んでしまった脳を元の大きさに戻す事は出来ない。
兄は結局人生の半分以上をこの原因の分からない時限爆弾のために楽しむことなく過ごしてしまった。そのおかげで結婚することも子供を持つ事も諦めてしまった。
2年前に家族で実家に2週間過ごした。結婚して初めての滞在だった。
兄は私の子供たちにとても優しくしてくれた。子供たちの世話なんてしたこともないあの兄がだ。
子供たちは朝起きたら必ず兄の部屋に走りこんでいった。そうすると兄はすぐ子供番組を付けて自分は自分のしたいことをしていたそうだ。毎日毎日子供たちをちがう公園や川に連れて行ってくれた。
私たちが帰った後、兄は1週間何も出来ない位疲れ切ったそうだ。
私は言いたい。なんで兄が苦しまなくてはいけなかったのか。病気は私にやってこればよかったのに。そうすれば家の家族は幸せを保つ事が出来たんじゃないかって。私は女で社会的にもそんなに役に立つ存在じゃなかったはず。兄なら、頭も良かったし、ちゃんと家系を継いで次世代に素晴らしい子孫を残せたんじゃないだろうか。
神様はすごく不公平だ。今こうしてどうしようもない私に素晴らしい子供たちと夫を与えてくれて、兄には何も与えてくれていない。私がいくら素晴らしい子供たちを持っていても私の実家の家系を継いでくれるのではない。
今私が兄に出来る事は祈り続けることかもしれない。
家族や子供を持たなくても幸せを掴めることを。
あの11月に私たち家族から喜びを奪った発作を私は死ぬまで恨むだろう。すべてを奪ったんだ、私たち家族の幸せを。母に常に兄に対する罪悪感と長女である私は健常である事への悔しさ、そして一体どこへ向かって行っているのか分からない死と隣り合わせのような人生という酷な旅を兄に贈った。
幸せが続くと怖くなる。この幸せがいつまで続くのか不安になる。Kが兄と重なってあの子が8さい7か月を過ぎるとなぜかホッとした。
もし、兄が病気にならなかったら、私は日本にいたと思う。そして家族の元にちょくちょく訪れていたと思う。母とももっと近い存在だったと思う。
ごめんね。私は辛いことを一緒に克服することが出来なかった。だから、子供たちには同じ事を繰り返さない。KもMも私は同じように扱おうと思う。どちらがどんな状況になろうとも。
私は今度は絶対に逃げない。
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自信たっぷりの16歳と頭の切れる15歳に日々悩まされるシドニー郊外在住の母。 二人の子供達の教育や子育てうんぬんに苦悩しつつ、のんびり見守りながら毎日を送っています。 頭に浮かんだ事を思うがままにそして赤裸々に綴っております。
2014年8月6日水曜日
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