2015年8月27日木曜日

私って変わってたかも。

あまり自分の事を振り返ってみてないなあと今日は自分の事を過去に遡って書いてみようか。

そんなに喜んで書けることがない。というのは自信をもって言えることがほとんどないから。そういうと大変残念に聞こえるけど、いっつも思ってたのは感情が敏感だったな。とにかく、傷付きやすいタイプで、ちょっとしたことにいちいち反応していた。誰かのコメント、先生の反応、親の反応。人の顔色を見て生きていたように思う。

でも、一つ分かったことはこのままじゃいけないってこと。ただ、何がどのようにこのままではいけないのか、じゃ、どうしたらいいのか、全く見当が付かなかった。

だから結構孤立してた。別にそうしようと思ってではなく、自分の感性について来れる人がいなかったな。そのことに気付くまでに意外と時間がかかった。

それが分かってからは皆がするように自分もしてみた。でも、それが無理してしている事のために疲れた。

ある日、なんだか弾けた。もうこれ以上溜め込むことが出来なくなったからという方が正しいか。

とは言っても意外と今まで通りを振舞いつつ、いつものルーティンから出る手立てを少しずつ練っていた。
このままじゃいけない。このままではどうにもならない。何かに呼び寄せられるようだった。でも、何が自分を呼んでいるのかは分からず。

ま、社会で所謂大人になっていたので、これから自分の力で生きることが出来るという自信。若かったな、私。

その勢いで初の試みをオーストラリアに向けて着々と準備を進めた。そして、誰も知り合いのいない、言葉もきちんと通じない、一体どんな所なのか旅行ガイドで見る限りの情報を握りしめて見知らぬ土地へとやって来たのだ。

それでも一生懸命色んな事にトライするのがとても心地よかった。だからどんな事にもとにかく当たっていった。

最初の3か月でそういう自分のサバイバルが体に染み付いて、ああ、こういう生き方をしていきたいな、また元の状態に戻るのなんか考えられなかった。

帰る2週間前に体中に蕁麻疹が出来た。最初なんか変なもの食べたのかと思ったけど、精神的ストレス(日本にもうすぐ帰らないといけない)が起こしている拒否反応だという事が分かった。

帰ってすぐにまたこっちに戻ってくるために、必死で働いた。毎日毎日休みなく、そして大学にも週4日通いながら毎日を働いて過ごした。

母には辟易とされた。父は諦めてしまった。

私はその事がすごく嬉しかった。これで自由になれる。その事が嬉しかった。

結局2度目の旅立ちから今まで故郷を恋しく思うことはほとんどなく来た。

人間って生まれる場所を間違って生まれている人がいると思う。自分の思っている事をその通り語れるって素晴らしい事。
でも、残念ながらそういう事がどこでも出来る訳ではない。最初の人生でそういう意味で窒息しそうだった。(これは後で分かったこと)今は苦労はあるけどチャレンジがいつもあるので活き活きしていると思う。

ギャップ生活が長かったためにその補正作業も必要で今苦しんでるのも事実。それでも引き上げよう等とは一度として思わなかった。苦しんでも、ここで苦しみたいという感じがあった。多分、帰ったら苦しむことすら出来ないようで怖かった。(ちゃんと生き続けられるかという意味で。)

だけど、後悔することはない。変わってて良かったって思える自分がいるから。苦労して辿り着けたからこそ今自分の置かれた状態をありがたいと思えるわけで、最初からここなら感謝出来ていたかどうか。

だからこれも運命だったのかもなとお茶飲みながら思っています。

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